記録

書いてる人・・・19歳。大学生。(それだけで説明が済む。便利だね。)

何故だかその頃私はチープで陳腐で儚いものに強くひきつけられたのを覚えている。

 

何故だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。

 

風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりも

どこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったり

むさくるしい部屋がいていたりする裏通りが好きであった。

梶井基次郎 「檸檬」より)

 

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檸檬」好きでした。

私は、高校の授業でやる前から好きでした。

 

ちゃんと共感できているか分かりませんが、

その頃の私は檸檬で書かれる思索と不満に強くひきつけられたのを覚えています。

授業で読むことで、オフィシャルな作品になってしまったので少しがっかりしました。

 

いや、

メジャーデビューした

インディーズバンドのファンかよ(ツッコミ)

 

元々メジャーですけど...。

 

好きなものが学校で紹介されると、なんであれ少し萎えますよね。

個人的な逃避村であってほしいのに...。

 

 

今更(偉い人たちが言い尽くしているだろうに)、

檸檬の感想なんか言っても仕方無いですが、

私は特に檸檬の「何にも起きないところ」が好きなんです。

 

檸檬で実際に行われたのって

「町を徘徊して、檸檬を買って、丸善で本を積んで、檸檬を置く」

だけじゃないですか。

 

主人公は色々と考えているにせよ、

結局、外から見れば何も変わっていないんですよ。

 

(本人が一番嫌なのは不吉な塊かも知れないけど...)

借金はあるし、肺尖カタルだし。

 

 

でも、それにリアリティを感じるんですよね。

 

現実は苦しいけど、

だからといって、それに正面から立ち向かえるわけでも無い。

うだうだとあれこれ考えて、慰めて、

根拠のない希望を無理やり見出して、

たまに心の中で痛烈な皮肉とささやかな反逆を言う。

そんなもんじゃ無いですかね...。

 

 

怠惰かも知れませんけど、

人生は心理描写の方が多くあるのものでしょう?

 

 

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さて、

何故だか私はチープで陳腐で儚いものに強くひきつけられています。

 

ペットボトルとか、ビニール袋とか、窓付の封筒とかです。

その用途のためだけに作られた、使い捨ての簡素な作りの物です。

 

さすがにコレクションはしませんが、

私に簡単に捨てられる所も含めて愛おしいんです。

 

 

こちらはコカコーラのペットボトル。

先ほどまでコカコーラ社の看板商品のコカコーラが入っていましたが

もう後はリサイクルボックスに投げ込まれるだけです。

 

このボトルが無ければコーラは飲めません。

しかし、コーラが飲み終わってしまえば

もう用済みになってしまいます。

ボトル目当てにコーラを買う人は恐らくいません。

こんなに大事だし、

コーラのためだけに無駄を完全に無くして作られたのに、

誰にも興味を持たれない。

リサイクルさせて、

またペットボトルになったらもう無限ループかも知れません。

 

コーラが飲み干された瞬間、

役目を終えた、プラスチックでかたどられた簡素で不自然な形の容器になる。

 

愛おしいですね...。

 

 

 

こちらはビニール袋。

特に用途は決められていません。

だだ何かを入れるために貼り合わされた薄いプラスチックです。

 

あり得ないくらいシンプルでチープな作り、でも便利。

何かを入れられて、大抵は道連れになって捨てられます。

 

みんな、一回ちゃんとビニール袋見てみてほしい。

愛おしくなるから。

 

 

 

あー、

つまりはこの重さなんだな。随分軽いけど...。

 

 

 

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私は画本を積み上げた城壁の頂上に恐る恐る

「空のペットボトルが入ったビニール袋」を据えつけた。

私は変にくすぐったい気持がした。

「出て行こうかなぁ。そうだ出て行こう」

丸善の棚へ透明色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来たのが私で、

もう十分後には大爆発するのだったらどんなにおもしろいだろう。

 

私はこの想像を熱心に追求した。

 

「......だたゴミを置いていった迷惑客になってお仕舞いか...」

 

私は丸善に戻った。